
今日はかかりつけの病院で検査の日だった。思えば昨年の救急車騒ぎから始まって、2回の手術(日帰りだが)、そしてようやく石が出たわけだが、定期的に経過を見るために病院で検査をしている。今日はエコーと血液検査、尿検査。一つだけちょっと引っかかってしまい、一ヶ月後に再診。ま、「一病息災」ということで。
病院で検査結果を待っていた時、もう齢90歳くらいにはなろうかというおじいさんが、初老の男性(恐らくは息子さん)に腕を支えられ、杖を突きながら歩いてきた。その息子と思しき男性が、しきりにおじいさんに話しかけている。
「今日は何だか調子がいいみたいだね。気分はいいかい?」
「うん。今日はいいよ。」
「そりゃよかった。今日は苦しくないんだね。」
「ああ、今日は苦しくない。」
何気ない会話だが、その中には二人のとても深い思いが込められているようで、うめ吉は思わず考えさせられてしまった。恐らくはこのおじいさん、毎日毎日体調が悪く、調子がいい時よりも苦しい時の方が多いに違いない。つまり、苦しいことが普通なのだ。そう考えると毎日がつらく、それこそ悲嘆に暮れそうだが、このおじいさんからそんな様子は微塵も伝わってこない。いったいそれはなぜなんだろう・・・。
そう、このおじいさんは、人間に対して年を取ることからふりかかってくる様々なマイナス要素を、素直に受け入れているのだ。うめ吉は今まで大きな病気や怪我をしたことがなかったが、ここ数年になってちょこちょこと体調を崩したり、昨年の結石騒ぎでは随分と落ちこんだりもした。病院の先生から、「うめ吉さんは自分の健康について厳しすぎますね。もう少し柔軟に考えた方がいいですよ。所詮人間は生き物なんですから、病気だってしますよ。」と言われてハッとしたこともあった。
そうなのである。今までのうめ吉は健康だったがゆえに、不健康な状態に陥った自分に対して、どうしていいか分からなくなり、物事を悪い方へとばかり考えていたのかも知れない。
おじいさんの姿からかいま見た自然体の生き方・・・。楽しむ時は存分に楽しもう。そして自分の身体を優しく労ってあげよう。何事も理想的な自転車フォームのように、自然体で構えずにいこう。そんなことを考えた一日であった。
(写真は先日寄り道した小机城の頂上にて。しばし現実世界を忘れ空想のタイムトラベル。癒されました^^)
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